1 全般
 平成18年3月1日・2日の両日、JAAGA賛助会員による那覇基地と嘉手納基地研修が実施された。コマンド・ブリーフ、講話を通じての全般理解、那覇基地ではF−4ファントムのデモ・スクランブル、ペトリオット発射地区研修、嘉手納基地ではF−22ラプターの実機遠望、F−15、KC−135の実機研修を通じ 日米安全保障体制の重要性を再認識して頂き、友好親善を図るという本研修の目的は十分に達成されたと思う。
 参加者は富士通の前川通氏を研修団長とし、法人賛助会員代表の加藤久夫氏、個人賛助会員代表の加藤幸彦氏が各副団長を勤め、総勢34名の研修団であった。(所感文:前川氏小林氏) JAAGAからは廣瀬、榎、宇都宮、新井、北村の5名の常務理事が参加した。入間基地では冨田中警団副司令の出迎え・見送りを受け定刻08:00に特別便C−1は那覇基地に向け離陸した。中継地の福岡空港では山崎西警団司令がわざわざ出迎えて頂き、本橋西空司支援飛行隊長を交え主要者としばし懇談して頂いた。

2 那覇基地研修
 
参加者全員の精進の賜物の好天で、加えてこの時期には珍しい弱い向かい風で予定より30分早く那覇基地に到着した。早速基地内の一番の高台にある砲台を見学した。基地の全貌、基地を取り巻く那覇の町並み、滑走路の奥に見える南シナ海、春霞に包まれている慶良間諸島の眺望に沖縄に来たのだと実感した。
 基地内で景観最高の基地食堂で、南混団司令浦山空将主催の昼食会が催された。この日は色鮮やかな「お雛様」メニュー、日矢落ちる海コバルト・ブルーとなり、半澤那覇基地司令、射場南警隊司令、久本 5高群司令、早坂南混団幕僚長、遠藤南混団総務部長が左右のJAAGA会員に熱っぽく語られ、和気藹々、話の尽きない昼食会であった。
 南混団司令は沖縄を中心とした地図を示しながら、南混団の任務、沖縄の歴史を背景とする県民性、沖縄に於ける米軍の存在意義、中国軍事力の現状などに付き、とても分かり易く講話して頂いた。
 その後、特段の配慮でアラート地区に移動、待機所の壁に貼られた諸外国の戦闘機写真の数々、全般状況及び緊張余儀なくされる 5分待機状況をGスーツに身を包んだパイロットが説明、説明は温和であるが体全体から発する自信と自負は研修者に「ご苦労様です」、「ありがとう御座います」、「お願いします」との念を髣髴とさせるものがあった。
 デモ・スクランブル、アットいう間にエンジンが唸りアウト・ハンガ、腹に響くエンジン音、何とも言えない排気ガスの匂い、バイザを下げたヘルメットが沖縄の日を反射しつつタクシ・アウト。研修者全員、其の迫力に言葉を失っていた。第 5高射群発射地区に移動、ペトリオットPAC3導入で話題性もあり、射撃統制装置を前にした全般説明に続く発射機の見学では、質問が尽きることがなかった。

3 嘉手納基地研修
 
嘉手納基地ではPOCである普久原さん、當間さん、宮良さんの出迎えを受け、VOQにチェック・イン。各部屋には第18戦闘航空団司令官・モールトン准将の歓迎メッセージと何事かあったら直接、副司令官に申し付けてくれと電話番号が書かれており、その気遣いに心の琴線に触れる何かを感じた。
 本研修では司令官が不在の為、副司令官のケネディ大佐がホスト役で夕食会に臨まれた。18時からのカクテル・タイム、将校クラブの重厚さに研修者一同多少緊張気味であったが、那覇基地から83空隊司令、南警隊司令、5高群司令、南混団幕僚長、それに石津沖縄支部長、名富事務局長が参加され、米側参加者も交えビール・ワイン・カクテルを飲みながら打ち解けて行った。
 米側から整備群司令官を除く、運用、任務支援、医療、施設各群司令官、団先任下士官等が出席して頂き、賑やかに会食が進んだ。アトラクションとして拳龍同志会の小学生、中学生による沖縄空手の演舞が披露された。9名の演舞者は全国大会、九州大会、沖縄大会での優勝者又は入賞者であり、其の迫力と素晴らしさに喝采の拍手を惜しまなかった。
 当日3月1日は不肖小生の誕生日、サプライズ・アタックのハッピィ・バースディの合唱、ケーキに6本のロウソク、「嬉くもあり、嬉くもなし人生の一里塚」の還暦誕生日に花を添えて頂き、アメリカらしい気遣いに感激を新たにした。
 ディナー終了後、当将校クラブのラウンジに移り、研修団の2次会に移った。相互に打ち解けて、延々と話は尽きなかった。
 2日、嘉手納基地は任務支援軍司令官・カーシュバル大佐、2006年カデナ基地最優秀軍曹と最優秀上級軍曹が朝食にお付き合い頂き、アメリカン・バッフェを楽しんだ。なお、JAAGA表彰されたスコット軍曹は転勤のため一緒できなかった。
 第18戦闘航空団の司令部に於いて、副司令官によるコマンド・ブリーフを受けた。嘉手納基地の地積は基地だけで三沢、横田両基地がすっぽり入る20平方キロ、更に弾薬庫地区はこれより広い25平方キロで、基地人口は2万4千人とのことである。アメリカ西海岸からインド洋まで、また北極から南極までを担任する太平洋軍に於ける沖縄の位置付け、キー・ストーンなる由縁等を事細かく説明された。
 会員から「今年創立された13空軍との関係は如何に?」、「米側から見て空自が更に充実すべき機能は何か?」、「任務支援軍司令からなぜ医療群司令、施設群司令は独立しているのか?」等の質問があった。航空機等の研修時間が無くなるとのアナウンスで腰を上げ程、熱心に聞いていた。
 エプロン地区に60個近く直線に並んだF−15の格納庫で、第67飛行隊長コーニッシュ中佐が直々説明してくれた。彼のコール・サインは 「ドック」とのことであったが、ハリウッドの映画スター並の美男子、全員で記念撮影をした。
 基地内移動時、バスの中からF−22型機を見ることができた。写真撮影は厳禁であった。この日、基地はダウン・デーであったがF−22部隊だけは訓練を実施、ファイナル・アプローチ、タクシー、ランプ・インの姿を目に焼付けることが出来た。
 第909空中給油飛行隊では副飛行隊長スチール中佐がKC−135の操縦席及びブーム・オペレータの場所に導きながら説明をしてくれた。空中給油ミッションはパイロット2名とブーム・オペレータ1名の3名だけで遂行されると聞き、其の厳しさを実感した。
 嘉手納基地での最後の行事の昼食会は、下士官クラブで運用群司令官ヘンケル大佐がホストで実施された。F−15飛行隊長、KC−135副飛行隊長が参加、それにF−22飛行隊長のトリバー中佐が急遽駆けつけてくれた。
 トリバー中佐は43歳、選ばれし者という独特の雰囲気を持ち、研修者からの質問に丁寧に応えてくれた。 F−22のパイロットは、F−15又はF−16のパイロットから転換するとのことである。フロリダのティンダル基地で1ヶ月の座学、その後25時間のシミュレータ訓練を経てソロ飛行(複座型は無い)に移り、7ヶ月の飛行訓練の後に部隊配属になるとのことである。因みに隊長の飛行時間は320時間で最多との事であった。「F−15、F−16との差異?」、「F−22相互の訓練の仕方、アグレッサSQはないのか、レーダで見えないのにどうするのか」等の質問が尽きなかった。
 本研修間、第18戦闘航空団副司令官ケネディ大佐が全行程に同行され、コマンド・ブリーフはもちろん、要所々々では自らも説明をされ、研修団一同はその熱心さと暖かい接遇に大いに感激した。
 那覇基地経由で入間に帰ったが、入間基地では廣中中警団司令が勤務時間外であったが出迎えて頂き、全員に労いの言葉を頂き、本研修への支援の手厚さを改めて知らされた次第である。
 タイトなスケジュールでしたが研修者一同は那覇基地、嘉手納基地の活動状況を実地に見聞し深い感銘を受け、有意義な研修であった。 (榎理事記)

 

賛助会員の空自・那覇基地及び米軍・嘉手納基地の研修