ワスコー中将

 親切なご紹介有難う御座います。また、現在及び将来の日米安全保証同盟につい手渡しの意見を述べさせていただく機会を頂き感謝申し上げます。この同盟の信奉者として申し上げますが、古巣に帰ってくることができとてもうれしく思いました。在日米軍及び第5空軍司令官として日本に戻ってきてから日本の友人たちの妻シーラと私に対する反響に大変喜んでおります。9年間ブランクがありましたが、航空自衛隊と隊員の方々と私どもの友情は益々強くなりました。成功の基盤を個人的関係と仕事上の尊敬に置いているこの国に戻ることができてとても嬉しく思います。まず始めに、私個人の日本との関係について触れてみたいと思います。私の家族と日本との関係は、祖父のパーシー・ポー・ビショップが大佐であった1923年に始まります。祖父はその年の3月に起こった関東大震災の被災者への救援物資を運んで来たアメリカ使節団の団長でした。祖父の回顧録には、救援物資を運ぶことで日本に対してとてもよいことをしたとの思いがあり、それによってとても満たされた気持ちになったとの記憶があります。1952年には朝鮮戦争関係で、父が東京のアメリカ大使館勤務になり、兄を含めた家族4人で代々木にあった小さな日本の家に住んでいました。私と兄は同年代の日本の男の子たちと野球をして遊びました。その環境では野球が私たちの共通語であり、原っぱが全世界でした。次に1986年にはわたし自身が大佐として第18戦術戦闘航空団副司令として沖縄に赴任し、1990年から92年には横田基地にある第5空軍作戦部長を務めました。そして2001年11月、在日米軍司令官として日本に帰ってくることができました。
 ペンタゴン、そして世界貿易センタービルへのテロ攻撃から9ヶ月が経過しました。あの日全世界が目撃した恐怖は言葉で表すことはできません。9月11日の出来事はアメリカのみへの攻撃ではなく、世界のすべての文明国への攻撃でした。あの日、80ヶ国以上の人たちが命を落としました。その犠牲者は、あらゆる民族、宗教そして地域の、罪のない男性、女性、子供たちです。テロとの戦いはすべての国を巻き込んでいます。9月11日のテロ攻撃により我々は根本的な現実に目覚めました。それは、21世紀の安全保障環境は20世紀のそれとは違うということです。そしてこの先、安全と自由を保障するには変化が起こること、また将来のためにはこの教訓を生かさなければならないことを理解する必要があります。皆様もご存知のように軍の歴史に不意打ちはつきものです。あまりにも頻発に不意打ちを受けるので、未だびっくりさせられることに驚きます。本来は予見するべきなのです。冷戦時代の安全保障環境は予測可能と思われました。二つの大国はお互いを熱心に研究し、ある行動が意図しない結果をもたらさないように細心の注意を払っていました。我々はお互いを理解し、抑止し、最終的には効果的に勝つための戦略をたてていました。10年前に冷戦が終結したとき、世界は安堵の吐息を漏らしました。民主主義の思想が世界中に広まり、力強い経済的発展と前例のない繁栄をもたらしたことを目の当たりにしました。
 9ヶ月前までは危険な軍事能力が複数の敵に広まり、毎日のようにテロ活動が行われていたにも拘わらず、多くの人がすでに脅威は存在しないのではないかと考えていました。この数ヶ月の痛みを伴う経験で学んだことは、今世紀の脅威は前世紀で慣れていたそれとはまったく違うということです。以前は起こりえないと思われていた脅威が実際には現実の脅威となりうるのです。今まで思いもよらなかったを脅威を無視しすれば、我々の社会生活への影響はこれまで以上にひどくなるでしょう
 日米同盟はこの同盟が成立した50年前には想像もしなかった、新しい共通の敵である国際的なテロリズムに対し堂々と対応しました。グローバルなテロとの戦いにおける日本の貢献は、私たちの時代の偉大な同盟国のサクセス・ストーリーとして歴史が証明するでしょう。テロへの脅威に対する日本の反応は、この同盟の強さと太平洋地域における日本のなくてはならない役割を明示しました。小泉首相のリーダーシップの下、日本は日米同盟関係において、更にアクティブなパートナーとなる大きな一歩を踏み出し、地域における安全保障のモデルとなっています。
 数ヶ月前、ワシントンでの下院国際関係委員会の小委員会で、デニス・ブレアー海軍大将はこれまでに何度もアメリカ政府関係者が言ってきたこと「日本との強固な友好関係は、アジアにおける安全と平和的な発展のため必要不可欠である」を繰り返しました。テロとの戦いにおける日本のタイムリーで意味深い明白な貢献は、この同盟関係の新たなステージを象徴するものです。
 ブッシュ大統領が言ったように、テロとの戦いは長く厳しいものになるでしょう。この戦争が終結するには軍事力だけでなく、我々が有するあらゆる手段の同盟国の力が必要となります。お互いをよく理解し、個々の相違する能力を認めることが大変重要となります。そしてそれらの能力を調整しながら歩調を合わせていくことにより、成功に導くことができます。
 現在、両国の軍同志の関係はこれまでで最良のものとなっています。9月11日の翌日には、すでに統合幕僚会議事務局のスタッフが横田基地まで来てくださり、自衛隊としてどのような支援ができるか調査していました。アメリカでの残酷な攻撃の直後、日本政府はその攻撃がどのような影響を日本に与えるかを議論しました。それから1ヶ月のうちに国会は歴史的な法案を通過し、先日その期間が半年間延長されたばかりです。この法律は連合軍の作戦によるアフガニスタン内のテロ組織に対する攻撃を支援することを認めたものです。自衛隊全体が連合軍の作戦を支援することを了承するものでした。
 航空自衛隊には、日本において、また遠いところではアフガニスタンでの作戦支援のための要の一つであるディエゴガルシアまで、空輸支援を頂いています。C130とU4は不朽の自由作戦支援のため、すでに1000トン以上の貨物と145名以上の人員を運びました。先月のコープノース・グアムが成功裏に終わったことも併せ、航空自衛隊と米空軍の協調関係は益々すばらしいものになっております。
 海上自衛隊は北アラビア海へ艦艇を派遣し、アメリカの艦艇への燃料補給と監視活動を支援してくださっています。これまで3万6百万ガロン以上の燃料を海上補給しています。このような作戦支援は、現在も進行中であるアフガニスタンにおける作戦にとり、非常に重要なものであります。乗務員全員のプロフェッショナルリズムは大変立派なものであります。アメリカ海軍と海上自衛隊の艦艇はテロとの戦いだけでなく、重要な訓練や演習でも協力しながら仕事をしています。海上自衛隊の艦艇がインド洋で米海軍の艦艇を支援している間、現在ハワイ沖で行われている環太平洋演習ではアメリカ艦艇が日本の艦艇に燃料を補給しています。軍人はそれぞれが個人的犠牲を払っていることを理解しています。一定期間派遣されている間には肉親の死や赤ちゃん誕生などがあります。任務を優先した海上自衛隊の27名の隊員はこのようなことが起こっても戦場に留まって任務を全うすることを選びました。自由を守るための重要な作戦をしてくださり、このような犠牲を払っている隊員の皆様とご家族に心から感謝いたします。
 キャンプ座間での施行調査を終えた陸上自衛隊は、米軍基地の警備が何時でもできる状態にあります。約180名の隊員がテロ対策の一つである基地警備のため、車両検査や監視活動、指揮統制の訓練を行いました。米軍に出動命令が出された際には、陸上自衛隊が立てた計画で、米軍施設と家族がこれまで以上に警備されます。
 日米関係の強さを示す事例として、アメリカからの正式な支援要請を受ける前に、警察庁及び海上保安庁では米軍基地への警備強化を行いました。1500名以上の警察官が出動し、米軍施設の外側の警備につきました。警備員、パトロール、機動隊を重要施設に充て、小さい施設ではパトロールを強化しました。また、ハーディ・バラックとニュー山王ホテルへの警備強化の要請にも迅速に対応してくださいました。アメリカ大使館についても同様です。ここ数ヶ月間、海上保安庁では80隻を越える巡視船を使い、これまでにない警備体制で在日米軍施設付近の海岸と港湾を警備しています。この事実は我々の協調関係の成功を顕しており、これらの活動に参加してくださったことを光栄に思います。
 アメリカ国防総省が変化の途上にあるように、自衛隊の役割や可能性も将来の課題に対応できるよう変わりつつあります。昨年12月、日本の国会では自衛官がPKOに参加している間、自衛のための武器の使用を認める法改正を行いました。「不朽の自由」作戦における日本の貢献に加え、自衛隊では4ヶ月前に約700名からなる施設部隊を東ティモールに派遣し、バングラデシュとパキスタンの技師から道路と橋の維持、補修を引き継ぎました。今回のPKOは過去50年の中で最大規模のものであり、地域の平和と安全に貢献するという強い決意の現れであります。また、ゴラン高原における国連兵力引き離し監視軍への45名の輸送隊派遣も継続しています。これらの任務についている自衛隊員が世界中から得る信頼、尊敬そして感謝の念は外交的にも、また安定と平和推進のためにも大変重要です。この場をお借りしまして、自衛隊員及び警察庁、海上保安庁と関係省庁に米軍への多大なご支援とテロとの戦いにおける貢献に対してお礼を申し上げます。
 日本では現在、他の国のように9月11日に経験したような国家の緊急事態にどのように対応するかを定める「有事法制」について審議が行われています。我々は日本が安全保障への役割を検討するステップを歓迎します。繰り返しになりますが、日米間の防衛協力関係は最良で緊密な連携を図っており、それが変わることはまったく予想していません。99年に日本の国会では新ガイドライン関連法案が通過しました。この新ガイドラインとその関連法は、周辺事態の際の効果的な協力体制における強固な基礎となっています。この画期的な法律は日米同盟のフォーカスを広め、周辺事態への我々パートナーシップの対応に柔軟性を与えました。今日の脅威に対してはこの柔軟性は極めて重要です。新ガイドライン制定後、在日米軍と自衛隊は、東アジアにおける脅威への対処能力を高めるための共同計画や演習を着実に拡大してきました。キーンエッジのような共同訓練を行い、情報の共有、後方支援の増強、指揮統制システム開発への協力を通じて、共に実行する能力を常に向上しています。一例をあげますと、科学技術面の改善に加え、現在は日本周辺事態におけるホスト・ネーションの道しるべとなる共同で作成したコンセプト・プラン、運用計画があります。我々防衛同盟にとって大変画期的なことでした。これにより、今後の訓練や演習に幅が広がり、日米双方の参加者が共通の基準を持つことができます。日米同盟の永続的な戦略目標の一つは、当地域の平和と安定です。我々の防衛関係が直面する課題が日本国内での重要な討論を呼び起こしました。日米同盟についての戦略的対話の必要性が言われていますが、私はそれを歓迎します。
 最後に、我々の国を守るとの誓いを立てた若者達について話したいと思います。私は日々の仕事の中で、又は数々の演習を通じて制服を着ている若い人達を見てきました。彼らはプロフェッショナルであり、有能でしっかりした教育を受けており、更に彼らの任務への忠誠心を目の当たりにするにつれ、気持ちが引き立たされます。この制服を着た者たちは、自国の防衛のために戦うだけでなく、人道主義者であり、平和維持者でもあります。彼らはNEOもできれば人道的任務にもつき、自然災害への対応もし、さらにその他の軍事作戦にも参加します。キーン・エッジにおいて自衛隊と在日米軍は、将来直面すると予想される事態への対処を訓練しました。今年2月の指揮統制訓練のキーン・エッジでは危機、または有事の際の指揮統制運用を訓練しました。この演習は参加者にとって現実的で妨げのない訓練の場となり、また司令官やスタッフはコンピュータによってはじき出される事件に対して、リアルタイムで予想し、対応する能力を高めることができました。今後は、これまで以上に新ガイドラインの下に与えられる任務や役割を通して、多方面にわたる共同演習や相互運用性を高める機会が増えることでしょう。きっちりと訓練され、どんな危機にも即応できる同盟は、ポジティブで力強い抑止力となります。現在、両国が直面している課題は、これまでの伝統的な軍事同盟を超越しています。安全保障上の成熟したパートナーとして、両軍一体となって9月11日以降の環境を安定させるための肥沃な土台を作る先頭にたっています。グローバルな安定のための取り組みが始まったばかりですが、よい結果の出ている両軍の成果が見え始めています。
 我々の任務は「ニューノーマル」の定義づけです。どのように作戦を運用し、また日々の社会生活をどのように一緒に生きるか。定義づけすることにより、これまで大事にしてきたことを続けられるのです。オリンピックやワールドカップのようなスポーツ競技を開催していきます。各個人が社会生活や趣味もエンジョイします。これらすべてのことをこれまでより賢く継続してやっていくのです。普通の生活に戻りますが決意は変わりません。日本はこれらの新しい任務を、周辺諸国がその目的と制約を理解できるように透明性を持って行っています。自衛隊は過去の任務から未来の任務に移行しています。そして、この協調関係は周辺地域にとって重要であり続けます。我々の第1の任務である日本の防衛のための能力と即応性の維持に努めながら、相互運用性を高める努力も続けなければなりません。周辺地域の平和と安定の促進をしていく中で、日米安全保障同盟に代わるものはありません。50年以上に亘る両国の友情と同盟関係が、現在ほど強固であった時はなく、将来の課題に自信を持って対処していけるでしょう。世界情勢が変わる中、両国の友情が変わることなく続いてきたこの古巣に帰ってこれたことは、私にとってすばらしい経験です。この偉大な二国における相互の尊敬と友情の念は岩のように硬く、「ニューノーマル」の世の中になっても何ら変わることはないでしょう。
 最後にもう一度、私の考えを皆様と共有する機会をくださいましたことにお礼を申し上げます。  (平成14年度総会記念講演)

         

テロ事件以降の日米安全保障関係の現状と将来