7月19日(木)1830から、グランド・ヒル市ヶ谷において元航空幕僚長故津曲義光氏を偲ぶ会が、氏を慕う約300名近くの知己を集め盛大に催された。故津曲氏は平成22年5月〜23年11月まで第7代JAAGA会長を務められており、JAAGAからも吉田会長他、多数の会員が出席した。参列者の中には、多忙中にもかかわらず、氏が航空幕僚長時代に防衛庁長官を務められた石破茂衆院議員や、防衛大学校の後輩でもある佐藤正久、宇都隆参院議員の姿も見えた。会場には中央に故人がにこやかに笑っている大きな写真が飾られた祭壇が設けられ、到着後出席者は次々に遺影と対面し献花を捧げた。
 会は黙祷に続いて、発起人を代表して元補給本部長茶木哲義氏が挨拶に立ち、「先輩が昨年11月27日に亡くなられてから、はや8ヶ月が過ぎようとしています。以来、地元福岡で執り行われた葬儀に参列できなかった方々等から故人を偲ぶ機会を持ちたいという多くの要望があり、本会を開催することになりました。まさしく、先輩の生前のご功績に対する感謝の証であり、人徳の賜であると思います。本日は先輩の人柄を踏まえ、明るく楽しい語らいの場にしたいと思います」と述べた。
 次に、故人を最もよく知る先輩及び同期として、元補給本部長吉川武秀氏(防大8期)及び元海上幕僚長古庄幸一氏(防大13期)が追悼の辞を述べた。吉川氏は故人と同じく航空機整備幹部として、同じ職場で上司、部下として勤務した経験を持っており、開口一番「本日は彼のいい所も悪い所も一緒に偲ぶ会にしたい。そうでなければ、彼があの世で大きな顔をして私を出迎えることになる」と述べ、会場を笑いの渦に巻き込みながら、故人の愛した酒をめぐる話等を披露し、最後に彼に報いるため後輩の諸君は頑張って欲しいと話を締めくくった。古庄氏は、「故人と同時期に海幕長として勤務した際、長官の所に行くときはよく事前に打ち合わせをし、つくづく同期のありがたさを感じました。これほど多くの先輩、後輩が集まったも彼の人徳のなせる技であり、大変すばらしいことだと思います」と述べた。
 その後、発起人副代表として元航空支援集団司令官永岩俊道氏が故人に献杯を捧げ、しばし歓談の時間となった。その間にも、故津曲氏と縁の深い方々が次々と壇上に立ち、それぞれの記憶の底に眠る思い出話や秘話を大いに語り、会場は故人が今にもどこからか現れてきそうな雰囲気に包まれていた。また、一歌会会長石橋一歌先生、竜笛(横笛)逢坂竜信先生は、元技術研究本部航空開発官奈良信行氏が故人を偲んで作った漢詩「巨星落つ」を祭壇の前で切々と吟じられた。
 終わりの時間も押し迫ってきた頃、ご遺族を代表して奥様が挨拶に立ち、途中声を詰まらせながらも「盛大な会を催していただき、お礼を申し上げます。亡くなって8ケ月近くになりますが、未だ信じられない思いがあり、本人が今にもひょっこり帰ってきそうな気がする時があります。本日は多くの方から思い出話を聞かせていただき、家族一同心和む思いが致しました。主人は賑やかなことが大好きでしたので、この会のことをきっと喜んでいることと思います。生前からのご厚誼に対し、改めて感謝いたします」と話された。最後に、本会の実行委員長、元補給本部長浦山長人氏が挨拶に立ち、会への参集のお礼を述べた。
 約2時間半に及ぶ「津曲義光先輩を偲ぶ会」は、故人に対する哀惜の念の中にも、深い敬意と終始笑いのある心温まる会であった。参列者は改めて故人の遺徳を偲び、それぞれの思い出を胸に会場を後にしたものと思う。(古畑理事記)


 

「津曲義光先輩を偲ぶ会」に出席して