1 はじめに
 今年2月、米国防省は「4年毎の国防計画見直し」(QDR:Quadrennial Defense Review)(以下「QDR」)を議会に提出した。5月には国家安全保障戦略が公表された。オバマ政権の米国戦略の全貌がようやく明らかになりつつある。 QDRは「軍隊の戦力構成見直し法」(96年発効)により、4年毎に米国防長官が国防計画・政策を包括的に見直し、議会に報告書を提出することが義務付けられたものである。 今後20年間に予想される安全保障上の主要課題を総点検し、地域的な安全保障上の課題や調達すべき兵器体系、人的戦力の課題などに対し、何を優先し、何を行うかを提示するものであり、4年間の国防省施策の根拠文書といえる。 日米同盟は日本にとって死活的に重要である。同盟国たる米国の戦略を知ることは、日本にとって最低限必要であり、QDRはその手助けとなる良き参考書である。紙幅の関係上、要点を絞って紹介してみたい。

2 2010年国家安全保障戦略について
 2010年QDRについて述べる前に、上位の国家安全保障戦略について触れておきたい。米国の安全保障に係わる戦略体系は、ゴールドウオーター・ニコルズ法によって国家安全保障戦略、国家防衛戦略、国家軍事戦略の作成、報告が義務づけられており、それぞれ、大統領府、国防省、統合参謀本部が担当する。 最も上位の2010年国家安全保障戦略は2010年QDRが公表された3ヵ月後の5月27日に公表されており、体系的には上位にあるが、時系列的には2010年QDRに反映される形にはなっていない。 従来、国家安全保障戦略は、軍事も含めた対外政策を中心とした安全保障政策の方向性を示すものだったが、オバマ政権初となる国家安全保障戦略は財政赤字や教育、移民政策まで含めた包括的な戦略文書となっている。 「軍事的な優位性は維持しているものの、過去数年、米国の競争力は後退している」との危機感を示し、国際的な影響力を保持するためには国力増強が必要、なかんずく「力の源泉」たる経済の再生が重要とし、財政赤字の削減や、教育、科学分野への投資、医療保険負担の軽減等に取り組む姿勢を強調しているところが特徴である。 ブッシュ・ドクトリンの「先制攻撃」を排除し、「衝突回避、平和維持のため」に外交、国際機関等を活用し、できる限り「武力行使の必要性を回避する」と明記した点はオバマ色を色濃く反映している。 BRICsといわれるブラジル、ロシア、インド、中国に加え、南アフリカ、インドネシアなどとの関係強化を重視するとしつつも、中国については軍事力近代化を警戒しながら、責任ある指導的役割を果たすことを歓迎するとし、また「非対称脅威」に対抗する能力を強化し、通常戦力の優位性を維持するといったトーンは2010年QDRに共通している。

3 2008年国家防衛戦略について
 2010年QDRは体系的には2008年国家防衛戦略を受けて策定された形となる。だが、2008年国家防衛戦略は政権交代まで半年しかない時期にブッシュ政権によって公表されたものである。 新大統領に代わっても、米国が直面する課題は変わらないし、米軍が取り組んでいる対テロ戦争に対する方針に大きな変更はないとゲイツ長官が判断したと思われる。 結果的にはゲイツ長官がオバマ新政権でも留任し、切れ目なく国家防衛戦略は継承され、2010年QDRに繋がっている。政権交代があっても国防戦略にブレがないところが米国の強みである。 2008年国家防衛戦略では脅威認識を新たにした。従来、脅威を伝統的、非正規型、混乱型、破滅型の4つに分類していたが、脅威は4つに分類できるほど単純ではなく、一つの紛争でも上記4つの脅威を包含している場合もあるとし、4分類を不採用とした。「不安定の弧」の用語についても使用されなくなった。  戦時であるという現状認識、現代の脅威に対しては一国では最早対処不可能であること、しかも軍のみならず文民の力も借りた統合的な体制でなければ今後の危機に対処できないという認識は、2010年QDRにそのまま反映されている。2010年QDRでは「バランス」という言葉が目立つが、2008年国家防衛戦略から強調され始めたものである。

4 QDRの変遷
 (1)1997年QDR
 1997年QDRでは安全保障環境を「依然として危険で高度に不確実」とし、地域的危険としてイラン、イラク、北朝鮮を挙げ、大規模越境、破産国家がもたらす不安定性国家としてソマリア等を挙げていた。 先進技術、NBC兵器の拡散を重大な懸念として位置付け、国家横断的 (transnational)危険として、大量破壊兵器拡散、テロ、小規模紛争を挙げた。また2015年以降のロシア、中国の台頭の可能性に懸念を表明したことも特徴的である。同時多発テロで市民権を得た「非対称脅威」の用語も初めてここで登場している。 「関与及び拡大戦略」が示されたのも1997年QDRの特徴である。地域安全保障の施策としては、日本、韓国、豪州との同盟関係の強化を謳い、特に日米同盟はグローバルな目標達成の為の要(Linch-pin)とし最重要視していた。
 (2)2001年QDR
 2001年QDRはテロ発生直後の9月30日に公表された。冷戦後の90年代を通じ、「封じ込め戦略」から「関与及び拡大戦略」へ、「対ソ戦略」から「地域戦略」へ、そして「相互確証破壊戦略」から「柔軟即応戦略、融合戦略」へと戦略転換がなされた。同時に米国単独主義が形成されたが、2001年9月11日の同時多発テロにより、戦略の大きな転換が迫られた。 だが、テロ直後ということもあり、2001年QDRでは所要の修正、検討が間に合わず「時間切れ、とりあえず」の感が強い。 特徴的なところは、同時多発テロ直後でもあり、「非対称脅威」を「戦争」に格上げし、「米国本土防衛」を最優先事項としたこと、そして「国土安全保障局」新設に言及した点である。また国防力整備にあたっての考え方を「脅威ベース」のアプローチから「能力ベース」へのアプローチへの転換を図ったことも大きな特徴であった。
 (3)2006年QDR
 21世紀に直面する脅威は、非正規型、混乱型、破滅型脅威の蓋然性が高く、伝統的脅威対応型の国防力をこれらの重点に向かってシフトしていくべきとの認識を示した。 「戦略的岐路にある国々」については、インド、ロシア、中国など台頭しつつある国家に対し、発展や民主化努力への協力を押し進めつつ、敵対勢力にならぬよう誘導に努める。同時に、紛争防止に失敗する可能性に対しても準備(ヘッジ)しておく必要があるとした。 特に中国については脅威とは言わないが、抑制された表現ながら警戒心を顕にした。中国は米国と軍事的に競合する潜在的可能性が最も高い国家であり、世界における責任ある利害共有者(Responsible stakeholder)として誘導する(Shape the choices)。中国は戦略的岐路(Strategic crossroad)に立っており、太平洋軍の増強によって軍事的無頼漢になるのを避けるためのヘッジ戦略を採るとした。 兵力整備については、”One size fits all”から”Tailored”への移行、つまり「大は小を兼ねる」型戦力から、多様な事態に適切に対応できる「テーラーメード」型戦力への移行を明示した。

5 2010年QDRの特徴
 (1) バランスの見直し
 2010年QDRでは「バランスの見直し」(rebalance)という言葉が目立つのが特徴である。「バランスの見直し」を強調するということは現状がバランスを欠いているとの認識、あるいは将来致命的なアンバランスに陥る可能性があるとの危機感の表れである。 「バランス」は2008年国家防衛戦略で強調され始めた。記者会見でゲイツ長官は「この国家防衛戦略を一言で表すと『バランス』である」と述べている。 米国は戦時下の(nation at war)認識が必要と指摘する。今回のQDR全体の文脈から窺えることは、足掛け9年に及ぶテロとの戦いによって米国の安全保障政策が歪みつつあるいう危機意識である。 財政面での負担は重く、2010年2月議会に提出した国防予算要求では約7000億ドル、テロとの戦いの海外事態対処作戦予算は約1600億ドルにも上る。人的負担も大きく志願制を維持するためには適切な海外展開期間の管理が求められる。兵員募集については資格年齢の引き上げでなんとか対応しているが質の低下など問題が多い。 オバマはイラクからは2011年末までに米軍を全面撤収することを決めたが、アフガンでは状況は予想以上に深刻であり3万人増派した。 この様な背景のもと、テロとの戦争を勝利するのを最優先としつつも、将来的な備えとのバランス、戦略目標とリスクとのバランス、あるいは伝統的脅威への備えと非正規戦能力向上とのバランスなどの見直しなどが急務であり、優先順位を定めて課題に応えるとした。 装備面でもF-22戦闘機生産終了、C-17輸送機調達終了、新しい空母調達の延期(stretching out)、CG(X)巡洋艦計画中止等、目玉事業に大鉈が振るわれ、より優先度の高い分野への資源再配分を提示した。 現代の課題は米国単独では取り組めないとの基本認識は2006年QDRと同じであるが、同盟国、友好国との協力、国内にあっては他省庁との協力が欠かせないことを2006年QDR以上に強調している。
 (2)「アクセス拒否」と「サイバー空間」への対応
  「アクセス拒否下における攻撃抑止と打破」(deter and defeat aggression in anti-access environments)と「サイバー空間における効果的作戦」(operate effectively in cyberspace)がクローズアップされた。 「アクセス拒否」とは敵対国家による侵攻を抑止、打倒するための作戦行動や重要地域への戦力展開を阻止する行動をいう。「アクセス拒否」、「サイバー」共に中国を念頭に記述されているのは明白である。 「ネットワーク侵入」「対衛星兵器」「基地、海洋及び航空資産、それらを支援するネットワークを脅かすように設計されたシステムに対する投資拡大」など、最近の趨勢に警戒感を示し「将来の敵は航空、海洋、宇宙、サイバー空間の支配を競う、あるいは拒否するような高度の能力を保持するだろう」と指摘している。 「サイバー」への取組については、現在でも日常的に受けているサイバー攻撃の実態に言及した上で、サイバー対処に係わる組織文化の改善や他省庁、関連企業、友好国との協力関係拡大といった包括的アプローチを強調すると共に、サイバーコマンド創設や教育訓練についても言及している。
 (3)中国への対応
 中国に関する記述については、国名を出した箇所では記述振りが抑制的なところが今回の特徴である。2006年QDRでは中国の軍事近代化の透明性に警戒心を色濃く出し、中国を名指しした上で「最大の軍事的な潜在的競争国」とまで言及して警戒心を顕わにした。今回のQDRではこのような表現は消えている。 2008年国家防衛戦略では中国には「選択肢の形成とヘッジ(shaping and hedging)で対応」とあり、2006年QDRと同様、ヘッジ戦略を提示していた。中国を名指しし、軍事的無頼漢になるのを思いとどまらせる為に軍事力増強には太平洋軍の増強によって、能力強化には能力強化で応え、米国との軍事競争に走ることを抑制させるとしていた。 2010年QDRではヘッジ戦略の必要性については言及されているが、中国を名指ししたヘッジ戦略の記述はない。 中国の軍事力について、中距離弾道ミサイル、巡航ミサイル、攻撃型潜水艦、遠距離防空システム、電子戦・コンピューター・ネットワーク攻撃能力、新世代戦闘機、対衛星能力の整備などを列挙した上で「軍事力拡大の真意や意思決定プロセスにおける透明性欠如」への疑念、あるいは「目的について限定的な情報しか共有せず、長期的な意図に関して多くの疑問」が生じているとの警戒心を示す。 警戒感を示しながらも抑制された記述振りは中国との関係を傷つけたくないというオバマ政権の思惑であろう。 「アクセス拒否/地域拒否」(anti-access/area-denial)能力については、今回の QDRでも14箇所にわたって記述されている。 「アクセス拒否」に対する対応能力保持が紛争防止・抑止に必要とし、このためには同盟国・友好国の協力、そして米軍の態勢強化が必要と指摘している。具体的な強化策として、遠距離打撃能力、対潜能力、前方展開基地の抗湛性、宇宙へのアクセス、利用確保、C4ISR、敵センサー・システム攻撃、米軍の海外プレゼンス等を挙げている。 目新しいのは「統合空海作戦構想の構築(develop a joint air-sea battle concept)」である。持てる戦力を有効に活用するための統合作戦に言及した点は2010年QDRの全般トーンに合致したものである。
 (4)同盟関係について
 戦略目標を達成するため、海外にあっては同盟国、友好国と、国内にあっては主要カウンターパートとの緊密な連携の必要性を強調する。 同盟の中でも、「米国の安全保障の中心は、大西洋を挟んだ強力なパートナーシップ」と述べるように、欧州との関係重視を鮮明にする。特に英国との関係は、「歴史と国益の共有により、不動の結束(steadfast bond)を形作っている」とし、アフガン、イラクの作戦を通じ「近年、関係は強化されている」ことを強調している。 日本に対する記述は4箇所に留まり、日本に対する期待値は明らかに低下した記述振りである。政権交代以降の同盟関係が反映されているのであろう。北東アジアの安全保障について日本、韓国を同列に扱い、一くくりで述べているところにオバマ政権の対日姿勢が現れているようだ。 普天間移設関連では、「米軍の長期プレゼンスを確固」たるものにし、「アジア太平洋地域の安全保障活動のハブとなるグアムへの米軍移転を進めるための『二国間の再編に関するロードマップ』の履行を継続する」と淡々とした記述に終わっている。
 (5)戦略転換について
  今回のQDRで示された大きな戦略転換は、「1-4-2-1」戦略(注)からの完全撤退である。戦力規模や構成の算定に際し、これまでは「ほぼ同時に2つの大規模地域紛争を戦う(win two major regional conflicts in overlapping time frames)」ことを基準に検討がなされてきたが、この手法は「もはや不適切である」とし、「2正面戦略」からの決別を宣言している。 戦いは計画した通りに行われるほうが稀であることを「痛ましい経験を通じて(through painful experience)学んだ」とし、戦いの様相、期間、烈度は様々であり、全ての事態が国益に同程度の脅威を与えるとは限らない。柔軟性は必要だが、これも全部隊に画一的、均一的に求められているわけではない。従って将来予測される重大な影響のある複数のシナリオの組み合わせを基に検討をしたと説明する。 この箇所の表現が婉曲、曖昧であるため「多様な脅威に対応できる柔軟な態勢を確立するものであり『2正面戦略』は維持される」と解釈する向きもある。だが、戦力規模、組成、そして評価の基準となる「2正面戦略」を「もはや適切でない」と切って捨て、ダウンサイズの実相を見るとき、冷戦後、一貫してきた「2正面戦略」は完全放棄されたと見るべきであろう。曖昧、婉曲な表現はコミットメントを約束する同盟国に対する政治的配慮と捉えるべきであろう。
 (6)その他の特徴
「兵士のケア」について手厚く記述されていること、そして「気候変動、エネルギーへの取組」が言及されたことも2010年QDRの特徴である。 足掛け9年にわたるテロとの戦いは多くの負傷兵を出し、そのケア如何によっては志願制の根幹が揺らぐとの危機意識を示す。負傷兵のケアは最優先課題である。また約40万人の米兵が海外展開している現状に鑑み、海外展開頻度の適正管理や家族支援についても具体的に提示し、募集と継続任用に関しても言及している。 心的外傷ストレス、外傷性脳障害、戦闘ストレス、薬物乱用、アルコール中毒、自殺の増加等の深刻な現状を示し、対応が最優先されなければならず、この投資が今日及び将来の国家安全保障において配当をもたらすと述べている。 「気候変動」について、QDRで言及されるのは今回が初めてである。気候変動それ自体では紛争の原因にはならないが、自然災害、飢餓、水不足、病気の蔓延、環境悪化は脆弱な政府を更に弱体化させ、不安定化または紛争を助長する可能性がある。加えて北極海の水域がオープンになる可能性があり、北極海における通信、領域認識、捜索救助、環境観測などの不備、不足に取り組む必要があると指摘する。 「エネルギー」については、再生可能エネルギー供給の増加、バイオ燃料の利用、ハイブリッド車両や電気自動車の導入、電動水上艦の就役等の記述があるが、今後の具体的施策が注目される。  

6 おわりに
 2010年QDRと国家安全保障戦略に通底するのは、長引く戦争による国力の衰退、競争力後退の危機感である。足掛け9年にわたる「長期にわたる戦争(long war)」はボディーブローのように重く圧し掛かり、米国の国力を衰退させている。加えて国内の経済不振、財政赤字等が問題をより深刻にしている。 軍事的優位性は維持しているものの、中国の台頭もあり、中長期的には軍事面で群を抜いた地位を維持できるかどうか危うくなりつつある。現在の戦争に勝つのは至上命題だ。だが、将来にわたっても米国が指導的立場に立たねばならぬ。2010年QDRは、このジレンマが滲み出ている。 日米同盟なくして安全保障政策は成り立たない日本の現状を鑑みるとき、米国の苦境を理解し、緊密な調整と連携のもと、責任を分担し、任務と役割を適切にして日米同盟を再度緊密化させ、深化させ、活性化させていくことが北東アジアの平和と安定を確保する最善の方法である。またそれが日本の国益に直結する。 昨年の政権交代以降、日米関係は必ずしも良好な状態とはいえない。早急に緊密な日米関係を再構築しなければならない。日米同盟が漂流して最も痛手を被るのは日本なのである。 日本は自らの弱さを自覚し、このQDRが示す米国の悲鳴をチャンスと捉え、早期に関係修復を図り、北東アジアの平和と安定を確保に日米が再びタッグマッチを組めるよう主体的に努力していくことが求められている。

注:「1-4-2-1」戦略は米本土の防衛、4つの地域での前方抑止、2つの地域でのほぼ同時の迅速な作戦遂行、そしてこれらの一つで決定的な勝利を収めることを狙いとした戦略

米国防省2010年「4年毎の国防計画見直し」について
                      
寄稿:織田邦男理事