ご承知のとおり、日米関係はかってないほどの良好な関係にあり、蜜月時代を迎えている。両国首脳の緊密な関係に加え、軍事的分野での極めて良好な関係を当事者として痛感しているところである。ワスコー中将を始め親日家の米軍人の方々からの御協力、JAAGA会員の皆様が長年に渡り築き上げられた米軍関係者との親密な関係の恩恵に与っている者を代表し、まずは皆様に御礼申し上げたい。 しかしながら、これまで良かったと言って、この様な良好な状況が永遠に続くと考えるべきではなく、「同盟は紙ではなく、連帯感である。」とキッシンジャー氏が指摘したとおり、同盟関係の維持には努力を怠ってはならないと考えている。
○ 同盟の状況
諸先輩がご在籍されていた時代の「同盟」と現在の「同盟」の性質は異なっており、これほど変わったのかとの印象を持つとも思われる。共通の敵であったソ連が消滅した89年の冷戦終結を機に、「同盟の市場化」と言われる現象が起き始めた。すなわち、各国は同盟を近視眼的な「得か、損か。」という基準で捉え、昨今用いられているコアリションは、共に戦い、協力するものの、利害に基づく関係を表すもので、同盟の形態は「運命共同体」から「利益共同体」へと形を変えつつある。今回のイラク派遣でも、米軍のスタンスは他国との能力格差に起因するところもあるが、「できる範囲で貢献してくれれば十分」と言うもので、結果、戦域輸送力での貢献、すなわちC−130の派遣となった。主体として活動する米軍にしてみれば、自己の機能の補完・強化が重要で、我が国に対しては「F−15を派遣してくれ。」などと端から言わない。このような傾向は今後も続き、気付いた時には何もできず、言われたままに動くしかない「パシリ自衛隊」に成り下がらないように注意しなければならないと考えている。
このような状況において、我が国の安全保障にとって不可欠であり、50年以上に渡って構築してきた日米同盟を、本来の意味での同盟として如何に維持し、機能させるかという課題に我々は直面している。
○ 日米同盟の変遷と教訓
・旧ガイドラインの意義と成果
旧ガイドラインが合意された年は、今から52年前に日米安全保障条約が発効した年から数えて26年後の1978年であるので、マラソンで例えれば折り返し地点であった。
旧ガイドラインの意義は、第1に日米共同作戦計画の研究に着手したこと、第2に日米共同訓練が開始されたこと、第3に共同防衛構想を明らかにしたことの3点であった。ただし、立法、予算上の措置を講じないことを前提していた旧ガイドラインでは、共同作戦計画は研究の域を超えることなく、明らかに実効性に欠けるものであった。また、盾と矛と関係で切り分けた共同防衛構想への米側の反発は強く、シーレーン防衛と政治的に取引する形で米側が折れたと聞いている。そのため、米側のフラストレーションはかなり高く、様々なエピソードも残されている。しかしながら、26年後の現在、ACSA締結、ガイドライン改正、周辺事態安全確保法及び武力事態等対処法の制定、本国会での成立が確実な関連7法案及び条約等、歩みは遅いものの、ここ10年の間に着実にステップ・アップしており、当時の成果は結実していると確信している。
また、日米共同訓練が開始された当時、駆け出しのパイロットだった私の記憶には、ベトナムから戻ったばかりで硝煙のにおいが感じられたパイロット達の鮮烈な印象、共に戦い、精強さを追求しようとする気概、そして彼らとの一体感が残っている。蛇足になるが、現在の共同訓練を通じて感じるのは、今の米空軍若手士官達が、ワスコー司令官の様に冷戦を戦ったメンバーとは異なり、極めてクールでビジネスライクと言うことである。
・湾岸戦争対応と日米関係
91年の湾岸戦争後、日米同盟は事実上空洞化していく。私は、この頃スタンフォード大学の客員研究員として米国に滞在していたが、日本に対する米国の冷めた反応を肌で感じた。130億ドルの資金援助を米国人のほとんどが知らず、親日派の人々にも、最終的に表明した90億ドルのみが認知されていた。当時、我が国は小切手外交以外に何もなし得ず、自由と民主主義という価値観を米国との間で共有できなかった。戦争終了後の掃海艇派遣も
”Too Little To late”との批判を浴び、93年のカンボジアPKO参加の文民警察官が死亡した際の自治大臣による「守備範囲を替えて、安全なところにしてくれ。」とのコメントに対しては「カンボジアでは170人が既に死亡しており、日本は偽善者だ。」との辛辣な記事が米国各紙の一面を飾り、日本人として恥ずかしく、悔しい思いもした。
「失われた90年代」と言われるとおり、経済と安全保障との両面で日米同盟は地に堕ちつつあった。92年のクリントン政権発足時、クラスメートが同政権の閣僚にアジアに精通した者はないことを懸念していたとおり、宮沢首相が首脳会談後の会見で「日米関係は50年前に逆戻った。」と溜息混じりに述べ、細川政権時には「構造協議決裂」、「半導体シェアー20%問題」等、冷ややかな関係が続いた。
当時の米国の関心は、「冷戦後の世界をどうするか。」であり、安全保障に関しては、「平和の配当をどう取り戻すか。」、「ダウンサイジングと基地の縮小・閉鎖」、そして「核開発者と情報員の処遇」が喫緊の課題であった。在籍していたスタンフォード大学でも、私が日本人であることを知りながら、TOYOTAとNISSANに対抗するための3万人の核技術者の自動車産業へ転換や、CIA情報員の貿易戦争での活用等を議論し、現大統領補佐官で、当時は同大の教員であったライス女史も、辛辣な対日批判をしていたのが記憶に新しい。96年には、モンデール大使の「尖閣諸島は日本の施政下にはなく。日米安全保障は発動されない。」発言もこの文脈でとらえるべきであろう。その後、「ジャパン・バッシング」は、「パッシング」、「ナッシング」と進み、クリントン政権前半における日本の評価は散々たるものだった。
だたし、全てが悪い方向に進んだ訳ではなく、93年の Bottom Up Reviewで欧州の前方展開戦力の見直された一方で、冷戦構造の残滓であるアジア太平洋地域には10万人の前方展開戦力は維持されることになり、欧州から北東アジアへと軸足が移り始めた。
また、有識者のなかにも、アジア太平洋地域の安定には、NATOと同様の集団安全保障体制が構築されるまでの間、日米同盟関係が極めて重要な位置づけにあること認識され始めていた。さらに予期せぬことに、95年の樋口レポートは米側に「日本は米国から離れていくのでは。」との疑念を抱かせることになり、ジョセフ・ナイらの有識者が中心となり、96年の日米安保共同宣言、97年には新たな「日米防衛協力のための指針」、現ガイドラインへと至ることになった。
現ガイドラインの意義としては、第1に、軍事をコアとする作戦面における同盟の重要性を再確認したこと、第2に蓋然性の高い周辺事態(テポドン、核疑惑、不審船等)を対象として実効性を追求し、所要の法律を整備したこと、第3に平素からの政策協議、情報共有、国際平和活動や国際緊急援助活動と協力する分野を拡大したこと、第4に実行性を確保するための種々のメカニズムを構築したことの4点が挙げられる。さらに特筆すべき点として、「立法、財政、行政上の措置の義務を負わない。」とした旧ガイドラインの記述に替え、「両国政府は、各々の判断に従い、具体的な政策や措置に適切な形で反映することが期待される。」というまさに官僚の名文が盛り込まれたことがあり、安全保障関連の法整備が継続的に推進されている本日の起点となっていることである。
・「9.11」と蜜月時代
「9.11」は好転した日米同盟関係をさらに良好な関係に進展させるきっかけとなった。しかしながら、ソマリアでの例を見るとおり米国は世論と議会の国であり、90年代の状況を省みると、同盟は「ガラス細工」の様に脆いものであることを忘れてはならないと思っている。
○ 同盟が抱える本質的問題・課題
・共通認識形成の困難さ
同盟を形成し、強化するための前提は、脅威認識を共有することだが、旧ソ連の様な脅威は分かり易いが、現在直面しているテロは漠然としてわかりにくく、対処のスペクトラムがあまりにも広いために、共通の脅威認識を形成することが困難となっている。
・戦略文化相違の表面化
欧州では米国との間で戦略文化の相違が表面化しつつある。当面の脅威が消失した欧州諸国にとって、権力や軍事力への興味は失せ、もともと法や制度を重んじる土壌があり、軍事力以外に有用性を見出さない米国との間で考え方のひらきが大きくなりつつある。
・二国間と多国間
テロ、非対称戦への対処では、脅威そのものが目に見えにくく、明確な対応が困難となる。そのため、どうしても多国間での対応とならざるを得ず、我が国の場合、必ず集団的自衛権の問題に直面してしまう。
・利益に基づく同盟運営
同盟とも連合とも言えない同盟の運営は、必然的に場当たり的、アドホックとなり、同盟を裏付ける条約があっても空文化する。そのため、血を流し、共に自由と民主主義を守るという共通意識は形成しにくい。
・能力格差
莫大な国防費、特に研究開発費を投入している米国に、他国は軍事技術的な面で追従できず、コソボ紛争ではNATOと米軍との能力格差が露呈された。NATO各国は、「この技術的遅れは、欧州NATO軍は米国と共に作戦することが不可能になるだろう。あるいは、インオペ能力を持たないC3Iを保有するNATOは、将来連合の航空作戦から撤退せざるを得ないだろう。」との米空軍参謀総長による議会報告を受け、DCIと名付けた改善策に取り組んだが、未だ思う様な進展は見せていない。空自も例外でなく、限られた予算の中で、主体性を保持しつつ、同盟を維持するための装備品の整備を追求しなければならず、あり方検討等でも議論してもらいたいである。
我が国においても、米国による一局構造的支配の拡大は、国民にある種の嫌悪感、憎悪を抱かせる可能性がある。同盟関係が国民の好き嫌いで引きずられることはさけなければならず、現実的な対応を求めていく必要がある。
○ 米軍の共同演習の傾向
・単一軍種から統合へ、二国間演習から多国間演習へ
米軍の大規模な演習は原則的に単一軍種ではなく、統合が基本となる。米空軍との共同演習は同盟に基づき対処の根底をなすことから、空自としては多くの機会を得たいところであるが、米軍では同一軍種での二国間演習には予算が下りにくい様で、機会は減少しつつある。米軍が統合、かつ多国間の演習に拘る理由には、紛争等の対処において、単独よりも連合の方が、国際社会の支持、正当性を得られやすい上、負担やリスクを分散できる利点があるからであり、先述のとおり能力格差から相手国とレベルに合わせざるを得ないため、軍事的な意味で得るものは少ないが、展開のためのアクセス権の獲得等の政治的な意味合いが強いことが98年のGAOから報告されている。
・戦闘からMOOTWへ
豪のタンデムトラスト、比のバリカタン、タイのコブラゴールド等、周辺諸国が主催する多国間演習にオブザーバー参加させている。これらの演習の内容は、戦闘以外の作戦、いわゆるMOOTWであるため、最近は、相手方から「何故、部隊がこないのか?」と問われる場面が多いと聞いている。また、昨年ブッシュ大統領が提唱した「拡散防止のための多国間の取り組み(PSI)」に同調する国が主催する指揮所演習及び実働演習にも、オブザーバー参加させているが、MOOTWについてはこれまでの実績、航空におけるPSIは現行の対領空侵犯措置と同様の対応であり、実行上は何ら問題ないと考えるものの、政治的にどうしても集団的自衛権の問題が足枷になってしまう。
○ おわりに
我が国の安全保障は日米同盟の存在なくして考えられない。しかしながら、「永遠の敵も味方もなく、永遠にあるのは国益、それを追求するのが国家の責務である。」とのチャーチルの言葉のとおり、本日お話しした「同盟の市場化」は自然の流れとも感じている。「市場化」への対応は「市場価値」を高める努力しかない。
真の同盟関係を維持していくには、「市場価値」を高めるといった観点から、政治、軍事、経済というあらゆる面で不断の努力が必要であり、この意味でも、JAAGAの皆様の存在とご活動は欠かないものであり、今後もご協力を賜りたく、改めてご協力をお願いしたい。