平成14年6月1日(土)米空軍嘉手納基地に於いて開催されたスペシャル・オリンピックスにゲストとして参加し、感銘を受けましたのでその報告を致します。 そもそも、スペシャル・オリンピックス(以下SO)とは何か、ということでありますが、これは、知的発達障害のある人々(アスリート)の自立と社会参加を目指し、日常的なスポーツに取り組み、その成果を発表するための競技会を提供するボランティア活動のことであります。1963年に故ケネディ大統領の妹、ユニス・ケネディ・シュライバー夫人が自宅の庭を開放して実施したデイ・キャンプがSOの始まりといわれています。以後、ケネディ財団の支援もあり、全米から世界へと広がり、現在、本部はアメリカ・ワシントンDCにあり、約160ケ国が加盟し、120万人のアスリート、100万人を越えるボランティアが活動する組織であります。これは非営利活動でありますから運営は、全てボランティアと善意の寄付によって行われています。 嘉手納基地でのSOは、今年が3回目で、1回目は100名のアスリートが参加し、2回目はそれが400名となり、3回目の今年は600名のアスリートとそれを支える2000名以上のボランティアの参加となりました。JAAGAは、昨年からこの活動に対しささやかではありますが寄付の協力を行っております。 アスリートとボランティアは、日常のトレーニングを通じて目標を達成する喜びを分かち合い、共に苦しみ、共に生きる喜びを味わっています。そして、SOの最大の目標は、アスリート達の様々な能力を高めること、彼らが自信と勇気を持つことにより、彼らの心と体を成長させることにあります。また、ボランティアは、この活動により、「彼らに教えるより、教えられることの方が多い。」と口をそろえて言っております。そして、本大会で、多くのアスリートが目標に向かってひたむきに努力する姿とそれを支える多くのボランティアの熱意に少なからず感動を覚えました。全ての人々が本体会に参加したボランティアの人達のような気持ちを持てば地球上から戦争もなくなるのではないかとも思いました。 嘉手納基地では、早くからカントレール大佐を長とするSO委員会(プロジェクト・チーム)を結成し、準備を進め、当日は米軍人はもとより、家族共々、基地を上げてボランティア活動を実施していました。そして、大会の合い言葉は、開会式で米空軍第18航空団司令官レミングトン准将(嘉手納基地司令)の挨拶にもありましたが"Let me win. But if I cannot win, let me be brave in the attempt."(我に勝利を。たとえそれが叶わずとも勇敢に戦わせ給え)で、まさに、その通りの大会であったと思います。また、各種のスポーツ競技のみならず、美術作品の展示会も基地内の体育館で、同時に開催されていました。 翌2日(日)には、同じく嘉手納基地(将校クラブ)で本大会のためのレセプションが実施されましたが、両日ともにSOインターナショナル理事長のサージェント・シュライバー氏(SOの創始者ユニス・ケネディ・シュライバー女史の御主人)、ベイカー駐日米国大使夫妻、稲嶺沖縄県知事、SO日本理事長細川佳代子女史(元総理夫人)、ベッツ駐沖縄総領事、在沖米軍の各指揮官等が参加されていました。 なお、2日のレセプションの席上でJAAGAの協力に対して、SO委員会から感謝状と盾が贈られましたので、合わせて報告させていただきます。
 (横沢副会長記)

          

嘉手納スペシャル・オリンピックスに参加して