米国の国家戦略や安全保障政策を理解するには「国家安全保障戦略」や「QDR」「国家防衛戦略」等を通観する必要があるが、同様に、あるいはそれ以上に米国の諸政策がどのようなプロセスを経て意志決定されてきたかという背景を掌握しておくことが肝心である。特に、軍の運用に関わる意志決定過程に際し、米国の国家安全保障会議(以下、NSC)と国防省とがどのように関わりあってきたかということを確認しておくことは、我が国の危機管理やシビリアン・コントロールのあり方について考える上でも大いに参考になる。
米国のNSCは大統領を議長とし、大統領の意思決定に資するために存在している。制度上のメンバーは大統領、副大統領、国務長官および国防長官であり、統合参謀本部議長は防衛全般に関し、国家情報長官は情報全般に関するアドバイザー役を担任している。大統領にとってNSCは米国の国家安全保障政策及び外交政策を大統領の補佐官共々取り纏める基幹的な組織である。1947年の「国家安全保障法」によるとNSCは「国家安全保障に関わる国内政策、外交政策および軍事政策について国防省その他関係省庁がより効果的に連携して政策を取り纏め大統領に対して適切な助言を実施」するとされている。また、「安全保障に関わる政策調整をより効果的に推進するための大統領特命事項を実施」することになっている。NSCは「状況を分析し国家目標を明示すると共に介入の可否に関わる分析、米国にとってのリスク分析を実施」すると共に「米国の国益を確保する政策を立案」する責務を有している。
では、NSCと国防省の連携プロセスとはどのように理解したらよいのであろうか。それらについて理解するためにまず国防省の歴史と現在の組織に至った経緯を概観してみる。
1940年代後半まで、米国には国防省の存在は無く、統合参謀本部議長の権限も明確にされていなかった。また、第2次世界大戦を通じて陸軍(War)と海軍(Navy)の2つの省しかなく、陸軍長官及び海軍長官は各々別個に大統領に報告していた。陸軍と海軍の間には、資源の配分、戦略の優先順位、軍の運用要領、戦闘指揮等に関してしばしば深刻な対立が発生しており、両者の連携を確保するため約75もの委員会が存在したといわれている。これらの臨時の委員会はそれなりに機能したが、豊富な資源力が両者間の調整の不具合を目立たなくしていたに過ぎない。
終戦後、1947年の国家安全保障法により国防長官を長とするナショナル・ミリタリー・エスタブリッシュメント(NME)が設立され、新設の空軍省を加えた3軍の省が生まれた。国防長官の権限は「一般的な方向付け、権限、統制」に留まり、3軍は権限を維持していた。時を同じくして、大統領を議長とし、国務長官、国防長官、空・海・陸軍長官及びナショナル・セキュリティ・リソーシーズ・ボード長官をメンバーとする国家安全保障会議(NSC)が設置された。当初のNSCにおいては7つのポストのうち4つを軍が確保していたこともあり、軍の意向が強く反映されていた。
NMEは1949年の国家安全保障法の見直しによって国防省に再編され、その際、国防長官の権限を拡大し軍の権限を縮減すると共に、3軍を統括するとして指揮権は有しない統合参謀本部議長を配置した。同時にこの見直しにおいて3軍の長官をNSCのメンバーからはずしている。
アイゼンハワー政権の時に、国防長官の権限を更に拡大する関連法案を通している。アイゼンハワー大統領は軍における経験から、中央集権の重要性及び明確な指揮系統の設定を徹底して強調した。権限を有する国防長官の下にやや権限の少ない統合参謀本部議長を配置するという組み合わせは1960年代から70年代のマクナマラ長官の時代まで継続した。統合参謀本部議長の権限を強化するのは1986年のゴールドウォーター・ニコルス法以降のことである。以前の統合参謀本部議長は単に4軍の代表者に過ぎなかったが、ゴールドウォーター・ニコルス法はその権限を強化し大統領、NSC、国防長官に対する第一の助言者と位置づけた。ゴールドウォーター・ニコルス法はまた戦闘部隊指揮官の権限を強化すると共に、大統領から国防長官を経て統合部隊指揮官に至るという指揮系統を明確化した。この措置は3軍の長官や各参謀長の権限を更に弱めることに繋がった。
現在、国防省は国防長官及び統合参謀本部議長に権限が集約された組織となっている。国防長官及び統合参謀本部議長には「軍に対するシビリアン・コントロール」の原則が適用され、最終的な責任は国防長官に帰着するようになっている。統合参謀本部議長は軍の最高位に位置づけられているが、法の定めにより軍の指揮権は有していない。統合参謀本部議長に戦闘部隊の指揮権を持たせなかったのは、議会が、議長の権限があまりに強化されすぎると懸念を示したためといわれている。
歴史的にみると、国防省の統一見解を求める大統領や軍種ごとに意見聴取することを好む大統領と、時の大統領によって千差万別であった。ブッシュ大統領の時には、通常、国防長官と統合参謀本部議長との意見の相違も含めすべての意見を聴取することを好んでいた。しかしながら、危機発生時においてはそのようなわけに行かず、例えば9.11のテロ攻撃以降、国防長官と国防副長官が大統領補佐官戦略会議で各々の意見を述べた際「国防省からは一人のみの報告にせよ」と注意を受けている。国防省の幹部は「OSDのシビリアンと軍が連携してその結果を一人で報告しなければならないとしたら国防省内の議論をもっと精緻にしなければならない。」としている。
その他の意見相違は1990年8月イラクがクウェート侵略した際にも発生した。大統領との会議のあと、チェイニー国防長官はパウエル統合参謀本部議長に以下のように注意している。「君は統合参謀本部長であって国務長官ではない。もちろん安全保障担当補佐官でもない。それに国防長官でもないのだから統合参謀本部長の所掌範囲に限って報告すべきである。」
このことはしかし、軍幹部が省庁間の会議において発言してはいけないといっているわけではない。むしろ軍幹部は、軍の状況等について知りうることを仔細にかつ積極的に発言すべきであるとされている。「軍幹部は寡黙すぎる。」としばしば批判されているが、その理由は(特に、より下位の幹部の場合)その発言が統合参謀本部議長の意見であるとみなされるのを嫌う傾向にあったり、個人的に不慣れな環境において萎縮したり、また、軍人は軍に関すること以外みだりに話してはならないと固辞する者もいたようである。NSCの下部組織であるDCのあるベテランメンバーによると「軍幹部は国家安全保障問題に関して更に広範囲(国家資源から経済問題、国土防衛、紛争、避難民、移民等)に教育を受けており、それが如何に軍の役割と任務に影響するかを理解することが必要である。昨今、特にこのような一見非軍事的なことが軍にとって重要な任務になってきた。」と軍幹部の積極的な発言を求めている。
このように、米国では軍人(議長もしくは責任ある地位の幹部)の専門的アドバイスは極めて重要であると認識されている。それは、省庁間の会議において、多くのシビリアンが概して軍の運用に関して十分な知識を有していない場合が多く、また表面上の成果以外その背景にある実態が十分に掌握されていない場合が多いと考えられていることによる。このような認識の下、軍幹部は、軍事力の活用により、何が達成でき限界は何かについて虚飾を避けつつかつ簡潔に説明することが期待されている。同時に、議論が結論に至る際、軍に命下される達成目標についてしっかり確認しておかなければならないとされている。国権発動としての軍事力行使の議論がなされている場合、このことは特に重要となる。
外交政策における主管は国務省であるが、省庁間における実務調整をし、具体的な外交政策を推進するのは国防省であり、国防省の予算や資源を駆使してこれらの任務遂行にあたる。しかしテロリズムとの戦いであるアフガン及びイラク戦争においては、多国参加の有志連合の関係もあり、国防省と国務省の役割は同等とされている。歴史的に言えば、国防省のほうが概して戦争介入には拒否的であり、憲法に許された任務か否か、軍以外の他の手段(他国軍、国連、NGO等)はないか等、特に気にしている。そのような場合、国防省の立場は、その任務を遂行する上で必要な能力を有しているか、或いは、国益に純粋に合致した任務かを最優先に考えることを軸として対応しているといえる。
軍事力を活用するという最終的な判断は国防省によるものではなく政治の判断である。例えば、1992年ソマリア飢餓対応の人道支援任務で米軍を派遣した際、米中央軍の戦闘指揮官は、より蓋然性の高い中東全般の脅威に対する態勢維持に悪影響を与えると進言した。しかし、当時の米国政府の人道支援遂行に対する強い政治的な関心から、国防省の意図を無視する介入を意志決定した。
国防省の第2の関心は兵站の重要性である。政治家は、NSCに命ぜられた軍の行動に必要な諸経費について概して無関心である。速やかに行動しなければならないことに注意を取られ、軍の行動に伴う必要経費について考えることを忌避してしまう傾向すらある。「国防総省が必要な資源はすべて持っている。」という誤解も無いわけではない。
米国のNSCと国防省との関係について概観してきたが、米国ほど危機管理に関わる意思決定システムを大統領交代の度ごとに大幅に変更させてきた国家は他に無い。それは、大統領の最終的な意思決定を如何に時代や状況変化に適合させるかという深刻な試行錯誤の連続であったのであろうと考える。その変革意識は現在も続いており、オバマ大統領は就任後直ちにジェームス・ジョーンズ大統領安全保障担当補佐官にNSCの大幅な見直しを命じている。国家の安全を確保することは国家の最大優先課題である。米国の歴代のリーダーたちは、国家の存続をかけて国家としての安全保障管理体制のあり方を模索し続けてきた。軍事力の管理を如何に適切にするか、その能力を如何に最大活用して国益を追求するかという議論はそれらの中の中心的課題であり続けてきたといえる。
我が国においても安倍政権当時「日本版NSC」構想が提唱され注目を集めたが、その後の政権においてこの議論はものの見事に霧散してしまった。霧散した理由が「我が国の危機管理システムが万全であり時代の要請に十分適合しているから」というわけではあるまい。日米両国の危機管理システムは大統領制と議院内閣制という違いはあるものの、国家の存続を掛け、リーダーの意思決定を適切にするという課題は共通である。平和時における制度の変革には多大の困難が伴うが、米国の反省を他山の石としつつ、我が国の現在の意思決定システムが時代に適合したものかどうかを日々真摯に自問し続ける必要がある。民主党政権に替わり、国家戦略室が平成21年9月18日、内閣官房に設置されたが、今後の議論を経て法制化されるであろう「国家戦略局」が看板どおり「我が国の国家安全保障に関わる国内政策、外交政策および軍事政策について防衛省その他関係省庁がより効果的に連携して政策を取り纏め内閣総理大臣に対して適切な助言を実施」し、また、「安全保障に関わる政策調整をより効果的に推進するため内閣総理大臣の特命事項を実施」できる組織に成長していくことを期待したい。
(永岩会員記)