昨年11月号にて皆様に御報告して以来、早くも8ヶ月が経過し、我が艇リバティは、その間に、米合衆国カリフォルニア州ニューポート・ビーチから、パナマ共和国パナマ市のバルボア(パナマ運河太平洋側の入口に所在)までやって来ました。

 メキシコに入ってからパナマまでの海路は、約3000浬と、東京からハワイまでの距離に近く、長い旅路でありました。 途上訪問した国は、メキシコ、エクアドル、コスタリカで、(ガテマラ、ホンジュラス、ニカラグアは行程の都合上訪問は省きました。)それらの訪問国で停泊した泊地は約25箇所です。(うち何箇所かの泊地では錨泊のみで上陸していない所もあります。) また、言語は馴染み深い英語からスペイン語の世界に移り、素養の無い私としては、英語の中に時折「インポルタンテ」、「ネセシト」等スパニッシュ風の単語を織り交ぜ、あとは「ムーチョ」と「ポキート」程度の限られた武器とボディーラングエジで肉弾戦に持ち込んでいます。戦果は、買い物等目標が単純明快な時にはなんとか80%以上の達成率ですが、道を聞く等、少し複雑な場合は苦戦を強いられています。 自然の豊かさがなんといってもこれら諸国の切り札で、多くのヨットマンもこの自然を求めてこの地域に入ります。 人跡未踏と思しきマングローブに囲まれた入り江に、ただ一隻錨を入れ一週間二週間と寛ぐのが、彼等の喜びの一つのようです。我々日本人はこのような寛ぎ方に余りにも慣れておらず、3日もたつと飽きてしまうのが実情で、目下修行中です。

 漁獲はメキシコに入った以降急激に伸び始めています。 漁業活動は航海中は引き釣り、停泊中は銛を持ってシュノーケリングですが、これまでに引き釣りの部でビン長マグロ、平アジ、鯛、シイラ、カツオを、シュノーケリングでは防大時代、走水海岸での自主訓練の成果を遺憾なく発揮して、鯛、 TriggerFish(日本名?)、イサキ等をせしめています。 獲物「海の幸」は先ず刺身、次いで漬け、そして焼き魚あるいは煮魚とし、最後は干して、たしなみ、洋上での単調になりがちなメニューを長きに渡り潤わさせてくれます。

 一方、市内の治安が悪いのもこの地域の特徴で、警察の全般防空の至らざるを、銃携行のガードマンで拠点防空している状況はこれらどの国でも共通の状況です。 これら中米諸国のうちパナマが一番都界的ですが、それは限られた地域についてのみのようです。パナマの旧市街地でタクシーを探している際に地元の怪しい若い衆二人に付きまとわれガソリンスタンドのガードマンに助けを求め、事なきを得たような危うい治安の体験もしました。

 昨年、国を出てから出会った日本のヨットは、我々と同時期に日本を出て現在もパナマのカリブ側にいる夫婦で世界周航中のニライ号と、単身世界一周中のアキツシマ号の2隻のみで、他は全て欧米諸国の船ばかりで、アジア系の船は皆無で、なんとも寂しい限りです。 どうもセーリングは、特に渡洋セーリングは、全くといっていいほど欧米人の遊びのようで、「海洋国家」或いは「国際国家」として「海」で、或いは「海外」で稼ぐ日本としてはもう少しその余禄を追及して楽しみをも拡大して然るべきと感じています。 このような背景から、航海間に出来た我々のヨット仲間は必然的に欧米人が大半です。

 私の旅の楽しみの対象は、各地での知己を訪ねることと、セーリングを通じてのヨット仲間あるいは地元民との交流、それに観光だったのですが、ここで、先に述べたようなヨット仲間との交流を通じて得た新たな所感、“ WILDNESS”(「野生」という日本語がいいのでしょうか?)ということについて述べてみたいと思います。 これまでの私の欧米人とのお付き合いの相手は軍人が大半であり、彼等は総じて「お行儀の良い」人達で、人前でこの「野性」を直接見せるような機会は余りありませんでしたが、今回のクルージングの間、お行儀の多様な人達との付き合いからは、「野生」の片鱗を垣間見ることが少なからずありました。 コスタリカのある静かな泊地で錨泊中、アカプルコから編隊で南下してきた我が「旗艦」“ Starlet”に招待されて夕闇の中で歓談中、誰かが「留守のはずのLibertyに明かりが見えるぞ!」と云うのを聞き、リック「艦長」は「よし直ぐ行こう!」とキャビンに飛び込みマシェテ(山刀)をワシ掴みにして現れ、私とともにディンギィで約100メートル離れた我がリバティに駆けつけました。結果的には誰もおらず船の背景のわずかな村の明かりのなせる業、であったのですが、この咄嗟の「やる気」は本物でした。 海賊対策は我が船でも、米国からの南下中考えざるを得ない雰囲気になってきておりますが、私は、愛すべき日本国憲法の精神からも戦わざる方針でいた(本当は命が惜しいだけ。)のですが、この「やる気」に接し、「やるべきはやる。」場合をも想定するに至っております。

 また、ここでリック船長と魚突きに出かけた際、暑い岩場の上を裸足で移動する状況下で、スタスタ歩くリックに私は足が熱いし痛いしでどんどんオイテキボリになってゆく場面がありました。彼は、「俺は日頃船上では全て裸足で活動してるから平気」とのことで、これは基本的にデッキ上では靴履きを原則とする我々の常識を覆すもので、「危なくないの?」との質問には「多少の怪我はしょっちゅうしてるけど裸足の方が快適だし何かとためにもなるから」、との答えでした。 以後出会うヨット仲間の履物には注意してましたが、船上を裸足で行動することは、とても常識的で、陸上でも裸足で歩いている仲間が多いのに改めて驚いた次第です。帆船時代からの常識なのかも知れません。(そういえば映画「カリブの海賊」の船乗りは大抵裸足だったかな?) 先日パナマに到着した海上自衛隊の練習艦隊の一般公開に各国からのヨット仲間10人程を誘って訪問した際、その中のアメリカの14歳の少年が裸足で参加したのを見て、案内の海曹兄が私に、「彼は靴をどこかで忘れてきたのですかねー?」と質問してきました。「彼はいつも靴を履かないんだよ。」と答えたところ、「危なくないですかねー?」との心配を洩らしましたが、「いつも裸足で、路上のガラス瓶のかけらを踏んでも平気で居るから大丈夫でしょう。」との私の答にしょうがなく納得していました。

 今、「夏休み」で私は船をパナマに置いて一時帰国していますが、戦後の(いや戦前からかも?)日本人に欠如しているものの一つが、この「野生」ではないかと実感しています。 「サッカーをやっても勝てないのはこれだな、まして、戦争にはこれでは勝てないよな。」とか感じる七夕の夕刻なのであります。 私はこの“Wildness”を、自衛官に求めらるべき資質として教わった記憶はありませんが、皆さんは如何でしょうか? 防衛大での「棒倒し」なんかはこれにあたるものでしょうか? 戦闘要員として本質的に個々の強さを求められ、そして任務は今後益々多様化し、また国民の期待はより具体かしてゆくであろう自衛官に「野生」をも育んでゆくべきではないのでしょうか? またそれを、野性味に欠ける日本社会の中でどうやって具現すればいいのでしょうか?

 さて、威勢よく世界一周を目指して出たリバティ号のこれからですが、このたび、我々の「身の程」をわきまえ、これ以上兵站線を不用意に延ばさず、太平洋に留まるべく方針変更を致しましたことを報告致します。ヨーロッパ、アフリカ等興味は尽きませんが、これまでの自分達での経験を踏まえ、欲張らず、ゆっくりとした旅路こそ我々の望んでいたもの、との旅の目的を再確認した結果によるものでもあります。 南太平洋は世界のヨット乗りの憧れる「楽園」のようですし、また日米が鎬を削ったWWU海戦の舞台でもあります。心して旅を続けたいと思います。  (リバティー号  林 昭彦)

 
       一時帰国中の林艇長(JAAGA10周年記念行事参加時)


リバティ号便り No.3 (7月21日)