JAAGAの皆様、残暑お見舞い申し上げます。
 今年5月22日から、ヨットによる世界周航を始め、その第一レグの目的地ハワイには6 月29日に到着し、 まさに「竜宮城」ハワイに丸々一ヶ月滞在し、7月30日にようやく出航し、目下、第二レグの目的地シアトルへの途上にあり、今はハワイから1400浬の北方にあります。出発からこれまでに、JAAGA会員の少なからぬ方々から、一角ならぬお世話になりましたので、ここで「リバティー号へのJAAGAの加担」につき、謝意をこめて紹介させて頂こうと思います。
 会員各位からのお世話の第一は、本周航準備のため、15.3にJAAGA理事の役を早期に、快く、外して頂いたことです。お陰で、M生命勤務の傍ら、存分に準備に集中することが出来ました。
 第二のお世話は、大串、遠竹、岩崎理事等に出発の前日池袋で大々的な壮行会を催して頂き、村木JAAGA会長をはじめ多数の参加者に、ご挨拶の機会を得ました。本壮行会での村木会長のご挨拶では、「ヨットで出掛けるから、ということで役目を外したのに一向に出発の気配がなく、やっと今になって、、、、」との、暗に「早く外し過ぎた。」かのご印象を披瀝されましたが、実はこの、十分な時間、を頂いたことが「第一」に述べましたJAAGAからのご協力であったのです。 また出発当日にはこのJAAGA会員等ご一行には、わが防大10期生等と呼応し、わざわざ福島県勿来のマリーナまで見送りを頂き、ランチに分乗し見えなくなるまで帽振れを頂き、クルー一同思わず涙ぐむ雰囲気にさせて頂きました。更にこのグループの一部は、ハワイまで歓迎に出掛けて見えましたので、とても熱心なチアー・グループとしてハワイでも評判になった程でした。(まさに我々は格好のダシとなっていたのでした。)
 第三のお世話は、なんと言っても、JAAGA名誉会員、ヘスター大将からのものでしょう。大将からは、準備段階から本計画につき相談に乗って頂いておりましたが、その段階から、「どうせ来るなら、米国の誕生日、7月4日にタイミングを合わすべし。また、米海軍のマリーナの利用につき話をしておくので、早めに打診のこと」との極めて強力なご提案・ご支援を頂いており、これが記念すべきパールハーバー入港を可能とする基盤となっていたのです。現地の入関関係者やヨット仲間等から、「どうやってパールハーバーに入れたのか?」と質問を受けたものです。同大将が企画してくれた歓迎行事の盛大ぶりについては、「チアー・グループ」から既に話が伝わっていることと思いますので省略させて頂きます。 忘れていましたが、ハワイ到着以前に、ヘスター大将からは、ミッドウエー島への計画外の入港とそこでの整備受けにつき、衛星電話を介して、お口添えを頂いていました。 まさに、「寄らば大樹の陰」でした!また、PACAF連絡官三輪1佐は、その俊敏な実行力と、愛さるべきパーソナリティーからか同司令部内で人気が高く、ヘスター司令官の信頼も厚く、我々も一角ならぬお世話になった次第です。
  リバティー号は、今後米本土へ渡り、シアトルを手始めとして都合約1年間程(パナマ方面で抜ける期間は別にして)は米合衆国を西から東へと渡り歩く予定ですので、JAAGAの「走り(5ノット程度ですが)使い」でもあればお役に立ちたい所存です。また、各位におかれましては、米空軍関係のご友人に、リバティーのことをおひろめ置き頂ければ幸いです。また、存分にJAAGAをお育て頂き、その目的をより広く、あるいはより深くご追求されんことを、波のまにまに、祈念申し上げます。
 リバティー号は、到着前2日間の濃霧に悩まされながらも、8月20日(日本時間21日)朝、カナダとの国境に近いシアトル郊外のアナコルテスに到着。全員元気の由。  (林艇長からのメッセージ)

追伸
 ハワイからはシアトルに向かいましたが、同地には丁度3週間後の8月20日に着きました。シアトル地区では、 JAAGAメンバーではありませんが、Gig Harborにお住まいの元米空軍第35戦闘航空団副司令のスナイダー大佐夫妻、及び、同地区最大のマリーナ、 Elliott Bay Marina(我々も数日間停泊)のすぐそばにお住まいの元在京米大使館付き空軍武官のバワーズ大佐夫妻にお世話になりました。

 
               真珠湾に停泊中のリバティ号

リバティ号便り No.1 (8月10日)