クライシス・シミュレーション

 「201?年、日本駐留の米軍は指揮所要員を除きほぼすべて撤退!」

 常日頃、信頼性の高い日米同盟関係のあり方について模索しているところですが、同盟の原点に立ち返ってこの関係のあり方を考え直すこともこれまた重要なことだと思います。

 わが国の防衛にとって堅固な日米同盟体制は基軸であり、米軍駐留も所与の条件として当分継続すると思い込んでいるところがありますが、果たして米国サイドはどのように考えているのでしょうか。「同盟関係とは友情ではなく実利や利害の一致が土台」であり、どちらかがその必要性を感じなくなったときに消滅するともいわれています。リアリストのミアシャイマーによると、米中が接近し、かつ朝鮮半島情勢や台湾情勢等、東アジアの情勢が安定化すると米国の当該地域に対するコミットメントは不要になると言い切っています。場合によっては、米軍が東アジア太平洋からドラスティックに撤退することもないとは言い切れません。

 先般、マサチューセッツ工科大学の国際研究センターMIT日本プログラムにおいて「MITアジア太平洋クライシス・シミュレーション」が実施され、お蔭様で日本チームの一員として参加する機会を得ましたが、このシミュレーションの立ち上がりの状況設定が、まさに表題のとおりの「日本からの米軍撤退」であり、アジア太平洋に対する米国関与の希薄化を前提に当該地域の将来動向を見極めようというものでした。アカデミックなエリアではすでにこのような議論が活発になされています。

 このシミュレーションは、MIT日本プログラムのリチャード・サミュエル教授のリードによるもので、当該地域の安全保障枠組みに関わる将来動向を研究する目的で、1995年ごろからほぼ2年毎に継続的に実施されています。   (1995年のプログラムは以下のホームページで確認できます。ご参考までに。)

http://dspace.mit.edu/bitstream/1721.1/17128/1/JP-WP-95-02-33890935.pdf

 今回のシミュレーションには、内外の地域専門家や外交実務経験者及びメディア関係者等約50名が参加しました。これらの参集者は、それぞれ、日本、米国、中国、インド、ロシア、ASEAN及びイラン等々の国毎にチーム分けされるとともに、各々、大統領や首相および閣僚等として任務付与され、コントロールチームのリードのもと、数年後から約20年後に至る将来予測をしつつ、各々の国の政策方針を決め、不測のクライシスに対処していきます。今回の主題は、中国やインドの台頭であり、米国の相対的な影響力の低下傾向のなか、日本をはじめとする地域国がいかに生き残りをかけてパワーゲームを行うかというものでした。

 シナリオはあくまで仮定のものとのことですが、現実の情勢見積もりに基づき極めてリアルに取り纏められており、参加者一同、深刻なクライシスに喧喧囂囂の議論を重ねながら真剣に対応していました。

 ベース・ライン・シナリオでは、米国経済は停滞し、軍事費は大幅削減、アジア太平洋に対しての米国の関与は極めて抑制的になります。中国政策に関しては軍事的な対峙というよりも対話を強調、通商政策重視に移行します。中台関係および朝鮮半島情勢が大幅に改善され、米国内では日米同盟関係の必要性について疑問視する声も出始めます。米国の影響力の低下する中、地域国は、国力や置かれた状況等に応じ、バンドワゴンやバランシング、コンテインメントまたはヘッジング等戦略的な動きが活発化し、複雑な国際関係が構築されます。中国およびインドは引き続き経済力および技術力を伸展させ、その力を軍事力に転用します。但し、中国国内では、政治的な対立及び環境問題等で不安定化が継続し、インド、パキスタンは軍事的に緊張。一方、ロシアは台頭する中国を睨み新たな安全保障枠組みを模索します。

 日本にとってはまさに同盟漂流の時代となります。日米同盟は日本の安全にとっての基軸とされつつも、日米両国の困難な国内事情は2国間の距離を離反させます。米軍は撤退し、米国は頭ごなしに中国に接近していきます。日本に危機が到来しても米国の関与は極めて抑制的になり、核抑止を含め実効的な同盟体制に綻びが見え始めます。

 そのような中、SLOCにおける海賊行為、大量破壊兵器の拡散、ダーティ・ボンブの爆発、島嶼侵攻事態、統一朝鮮の核武装化等々、わが国の安全と主権を揺るがす深刻な事態が頻発します。果たしてこれらの事態に対してわが国はどのように対応すべきなのでしょうか? 

 このシミュレーションはわが国の安全保障政策のあり方を考える上でのいろいろな課題を提示しました。

 米国の関与が弱体化した場合、地域にどのようなパワーゲームが発生するか? そのパワーゲームは収拾可能か? 多国間安全保障枠組みは実効的に機能するか? いずれの国が地域覇権国となりうるか? 堅固な日米安全保障体制の維持は引き続き地域の安定の基軸足りうるか? 日米同盟関係を信頼性の高いものにするための日米双方の課題は何か? 日米同盟の希薄化に対する日本のヘッジ戦略とは? 米中接近に対する日本の戦略は? 台頭する中国やインドにどのように関与するか? 日中のバンドワゴン政策は成立するか? 日露、日印の戦略的な接近政策の可能性は? 大量破壊兵器の拡散に地域国はいかに対応しうるか? 日本としてのリーダーシップのあり方は? 核保有のままの統一朝鮮にどのように対応するか? 領土問題の確執に如何に対応するか? 日本の自主防衛の選択肢は? 

 いずれも簡単には答えの出てこない難問ばかりですが、最悪の事態に対処するという危機管理の原則からすれば、どの問いに対してもそれなりの腹案を持たなければならないと考えます。日米同盟体制を所与のものとして思考停止に陥ることはもっとも危険なことです。

 今回のゲームでは、日本チームは、数回の政権交代を経ながら徐々に「ノーマル・カントリー」としての自主的な情勢判断と行動の選択をせざるをえなくなり、日米同盟の再活性化、米国後退に対するヘッジング政策、ロシア、インド等を絡めた対中国戦略、自主防衛の模索等々、生き残りをかけて奮闘しました。

 日本には「言霊」という言い伝えがあります。そのせいかもしれませんが、日本人は概して「アンティシペイト(anticipate: 悪い事態を予想する。先を見越して考える。先手を打つ。) することが不得意」と称されることが多いようです。しかし、危機管理に関する限り、「先手を打って諸々考えておく」ことは重要なことです。「言霊」は乗り越えてなければなりません。日本では今回のようなクライシス・シミュレーションは残念ながらなかなか見かけませんが、米国ではMITのような大学、安全保障にかかわる研究所等多方面で実施されているようです。今回参加してみて、将来のクライシスに際して場当たり的ではない意思決定をするため、あるいは、日本の生き残りをかけた戦略的思考を深化させるため、欠かせない大事な訓練形態だと感じ入りました。特にリーダーシップ・トレーニングとして最適です。実際の危機対処に観念的な議論や直感的な意思決定のみでは危険極まりないと言わざるをえません。大学の授業、研究機関、あるいは政府関係機関の各種活動の中にぜひともこのような形態のシミュレーションを持つ機会を設けてもらいたいものです。」  (ボストン在住、永岩会員記)

ボストン便り No.6